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和歌山地方裁判所 昭和56年(行ウ)5号 判決

原告 地村常太郎

被告 和歌山県知事

補助参加人 森田明子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が昭和五三年一二月一九日補助参加人に対してなした農地法二〇条一項の規定による許可申請のあつた農地の賃貸借の解除についての許可処分はこれを取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和の初め頃、補助参加人森田明子(以下、森田という。)の先代亡森田徳治郎(以下、徳治郎という。)から和歌山県伊都郡かつらぎ町大字丁ノ町字南鳥居田四五〇番田一五〇四平方メートル(以下、本件農地という。)を賃借し(以下、本件賃貸借契約という。)、以来農地として耕作してきたところ、賃貸人森田は、昭和五二年六月七日、被告に対し、本件農地につき農地法(以下、法という。)二〇条一項に基づく農地賃貸借契約解除の許可申請(以下、本件申請という。)をなし、被告は昭和五三年一二月一九日右解除の許可処分(以下、本件処分という。)をなした。

原告は、これを不服として、昭和五四年二月一五日農林水産大臣に対し審査請求を申立てたが、昭和五六年八月一九日右審査請求を棄却する旨の裁決がなされた。

2  本件処分の理由は、審査請求の審査過程において被告から提出された弁明書及び農林水産大臣の裁決書によれば、大略次のとおりである。

原告は、昭和四四年一〇月二日本件農地につき所有権移転登記を経由した後、従来水田として使用していた本件農地を八朔畑に転換した。右登記は、昭和五〇年一〇月一四日確定した判決に基づき、翌五一年四月八日抹消された。そこで、原告は、右転作について賃貸人である森田に承諾を求めるべきであるにもかかわらず、小作料を支払い続ければよいとの考え方でその承諾を求める努力をせず、又水田に復旧する意思を示すこともしなかつた。森田が原告に対しいつ水田への復旧を申し入れたか確定し難いが、少なくとも昭和五二年一月二一日付文書で本件農地の明渡を求めており、その後同年六月七日本件申請をなすまでに期間があつたにもかかわらず、原告は復旧の積極的意思表示をしないまま、従前どおり耕作を続けた。これは、賃借人としては信義に反する行為である。

3  しかしながら、右理由は不当であり、本件処分は取消されるべきである。

(一) 本件が右のような複雑な経過をたどつたのは、次のような背景があるからである。すなわち、

(1) 原告は、昭和四四年七月二八日、〈1〉本件農地〈2〉和歌山県伊都郡かつらぎ町大字丁ノ町二二五〇番地家屋番号二二五番木造瓦葺二階建居宅一棟床面積一、二階とも四六・二八平方メートル〈3〉同所同番地の二家屋番号二二七番木造瓦葺平家建店舗兼居宅一棟床面積四〇・三三平方メートルの三物件(以下、〈2〉及び〈3〉の建物を総称して本件建物といい〔個別にいうときは、家屋番号にて表示する。〕、〈1〉ないし〈3〉の物件を総称して本件不動産という。)を金三五〇万円で森田の代理人上北道子(以下、道子という。)から買受け(以下、本件売買という。)、代金を支払うとともに、同年一〇月二日本件不動産につき所有権移転登記を経由した。

(2) 原告は、本件売買の際、道子に本人である森田の意思確認を求め、道子が森田のもとに意思確認に赴いたうえで契約を締結したのであるが、昭和四五年一二月一一日森田から道子は無権代理人であるとして、所有権移転登記等抹消登記手続請求訴訟(以下、別件訴訟という。)が提起された。しかしながら、本件売買については右のような経緯があるので、原告は代理権の存在を主張して応訴したが、結局昭和五〇年一〇月一四日原告敗訴の判決が確定した。森田は右判決に基づき、本件不動産につき昭和五一年四月八日所有権移転登記の抹消登記手続をなした。

(3) 原告が本件農地に八朔の植付を行つたのは、昭和四五年一一月頃のことであるが、それは前記売買代金支払及び所有権移転登記の後で、かつ森田による別件訴訟提起前のことである。

(4) 原告は右判決確定後も従前どおり八朔の栽培を続けていたところ、森田は、昭和五二年一月二一日頃到達の同日付内容証明郵便をもつて原告に対し本件賃貸借契約解除の意思表示をしたとして、同年六月七日被告に対し本件申請を行つたが、これに対してなされた被告の許可処分が、本件で取消を求める処分である。

(二) 取消理由その一

(1) 原告は、本件農地を賃借して以来これを水田として利用していたが、特にその使用を水田のみに限定するとの明確な約定があつた訳ではない。原告は前記のように売買代金支払い後、政府の米作転換政策に従つてこれを八朔畑に転換したものであるところ、森田からそれについて別件訴訟の係属中はもちろんのこと判決確定後も非難されたことはない。原告としては、右八朔畑への転換について森田に異論があるとは夢にも思わず、耕作を続けてきたのである。

このような状態であるから、判決確定後、八朔畑への転換について森田の承諾を求めなかつた不作為をとらえて、賃貸借契約解除の事由にすることは不当である。

(2) 次に、被告が処分理由の一つにあげている解除通知後の不作為であるが、原告には昭和五二年一月二一日付の右通知が届いた記憶はなく、又、仮に右通知が届いたとしても、原告は無学な老人であり、内容を見ないままに紛失してしまつた可能性がある。このような状況のもとにあつて本件申請は原告にとつてまことに唐突であり、水田への復旧等考える余裕が与えられていなかつたというべきである。

仮に原告が同日付の通知を受取つていたとしても、次の理由から原告に水田への復旧を期待することは無理を強いるものである。

イ 森田は前記別件訴訟の判決が確定して約一年三か月経過後、いきなり一方的に解除を通告しており、その態度は唐突かつ高圧的であつて、このような態度をとる賃貸人と腹蔵のない話合いをせよと要求するのは無理である。

ロ 被告に提出された前記昭和五二年一月二一日付内容証明郵便には、「小作地利用に関し背信的行為を重ねてこられましたところ‥‥貴殿との小作契約を将来にわたつて継続すべきことは最早耐えられず、この際右土地を速やかに通知人に明渡されたく‥‥」と記載され、水田に復旧せよという要求は全く記載されていない。これを見れば、森田が既に水田への復旧を要求していないことは明らかであるから、原告にとつてみれば、今更復旧してみても森田の翻意を得ることは不可能と考えるのが自然であり、以後は成行に任せざるをえなかつたのである。

(三) 取消理由その二

原告の行為が信義に反するかどうかを判断する場合、次のような賃貸人森田の行為をも総合的に考慮すべきである。すなわち、賃借人である原告の行為は、次のような賃貸人の行為との関連において生じているのであり、この関連を無視して原告の行為のみを取上げるのは片手落ちというべきところ、これらを総合的に考察すれば、原告の行為が信義に反するものといえないことは明らかである。

(1) 原告は、昭和四四年から昭和五一年までの間本件農地に課された固定資産税及び都市計画税を支払つているのに、森田は本件農地は非課税のはずであると称してこれを清算しようとしない。その一方で、森田は右期間の地代の支払いを原告に要求し、原告としては、右のような事情があるので若干遅延したが、結局紛争を恐れて請求されたとおり地代全額及びこれに対する遅延損害金を支払つた。

(2) 以上のほか、森田は、原告が本件農地と同時に買受けた本件建物に関し、次の金員を清算しない。

イ 二二五番の建物の補修及び改造費金三六〇万円

原告は右建物を買受けた後、長年放置され人が居住することさえ困難であつたものを金三六〇万円をかけて補修、改造し、アパートとして使用できるようにした。森田は、別件訴訟の判決確定後、右アパートの居住者から家賃を取得しながら、原告に対して右費用を一切支払おうとしない。

ロ 金銭支払い仮処分に基づく仮払金五四万円

原告は、別件訴訟の一審判決後、森田が申請した右仮処分に基づき、昭和四八年七月から昭和五〇年九月までの間毎月二万円ずつを森田に支払つたが、原告が買受けた本件農地及び建物(補修前のものを前提とする)の使用料相当額が毎月二万円などという金額になるはずはなく、過払いになつているところ、右別件訴訟の判決確定後、右過払金についての清算は全く行われていない。

森田は、原告が前記二二五番の建物を自費で補修、改造したことを全く無視して仮処分決定を得たものである。

ハ 本件建物の敷地の地代立替金約二〇万円

原告が森田から買受けた本件建物の敷地は借地であるところ、買受当時、森田が地代を滞納していたので、原告がこれを立替払いしたうえ買受け以後も地代を支払つてきたが、森田は判決確定後これを清算しようとしない。

4  よつて、原告は、被告に対し本件処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3(一)(1)のうち、原告が昭和四四年一〇月二日本件不動産につき所有権移転登記を経由したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同3(一)(2)の事実のうち、原告が本件売買の際、代理人道子に本人である森田の意思確認を求め、道子が森田のもとに意思確認に赴いたうえで契約を締結したことは否認し、その余の事実は認める。

同3(一)(3)の事実のうち、原告が本件農地に八朔の植付を行つたことは認め、その日時については不知。

同3(一)(4)の事実は認める。

同3(二)(1)は争う。

同3(二)(2)のうち、ロの内容証明郵便の記載が原告主張どおりであることは認め、その余は争う。

同3(三)前文は争う。

同3(三)(1)のうち、原告が昭和四八年から昭和五一年までの間本件農地に課された固定資産税及び都市計画税を支払つたことは認め、その余の事実は不知。

同3(三)(2)イないしハの各事実は不知。

三  被告の主張

1  本件処分に至つた経緯等について

(一) 森田は、昭和五二年六月七日、被告宛の本件申請を和歌山県伊都郡かつらぎ町農業委員会になしたが、そこで主張している解除事由は、森田の亡父が約四〇年前、米作以外の耕作に使用しないことを条件に本件農地を原告に賃貸していたところ、原告は森田に売却の意思のないことを知りながら、同女のいとこにあたる光治の妻道子との間で本件農地の売買契約を締結して原告名義に所有権移転登記を経由し、あたかも原告が真実の所有者であるかの如く振舞い、みかん畑に転用したというのである。

(二) かつらぎ町農業委員会は、本件申請に対する意見書を付して、同年八月八日被告宛進達し、被告は同月二〇日受理した。

(三) 被告は、昭和五三年四月四日かつらぎ町農業委員会事務所において、原告から事情聴取を行つたが、その際森田との間で和解による解決を勧めた。

(四) 被告は、同年五月二二日、大阪市生野区内の病院において、森田からも事情聴取を行い、その結果に基づき、和解案を提示する等して和解を試みたが、森田がこれを拒否したため不調に終つた。

(五) そこで、被告は慎重な審査、検討を重ねたうえ、本件申請を同年一一月三〇日開催の和歌山県農業会議に諮問した。和歌山県農業会議は、更に特別委員会を設置し、同年一二月八日と同月一五日の二回にわたつて検討した結果、同月一五日開催の同会議において、本件申請は許可相当との答申をまとめ、被告に提出した。

(六) 被告は、右答申を受けて再度慎重な審査、検討を重ねた結果、本件申請は許可相当であるとの結論に達し、同月一九日本件処分をなし、原告に対しては同月二六日に、森田に対しては同月二七日に各配達証明郵便で通知した。

2  本件処分の適法性について

(一) 原告には本件農地の賃貸借につき、次のとおり法二〇条二項一号の許可該当事由があるから、本件処分は適法である。

(1) 本件売買が所有者であり、かつ賃貸人である森田の真意に基づかずしてなされたものであることは、別件訴訟の最高裁昭和五〇年一〇月一四日判決により明らかであるところ、原告の右買受行為は、次に述べるとおり信義に反するものといわなければならない。

イ 本件売買は、昭和四四年七月二八日午後、道子、原告、仲介役の森田益弘及び森本玩延らが、森田の自宅から僅か徒歩二、三分の所にあるかつらぎ旅館に参集し、交渉した結果、本件不動産を総額金三五〇万円で売買することで合意したものであるが、その間、森田は右かつらぎ町の自宅におり、右売買の交渉は終始同女不在のまま行われたものである。

ロ 森田は、道子らの勧めにより、いずれ本件農地を売却する予定にしていたため、右交渉が行われる二日前の同月二六日、宿泊先の橋本駅前にあるみかえり旅館において、先代から引続き耕作している原告を呼んで本件農地の売買につき面談したところ、原告は本件農地を金一五〇万円ないし二〇〇万円と評価したので、数年前既に金一〇〇〇万円を下らない評価を受けていることを聞知していた森田としては、到底右価格では売却する気にならず、その場で明確に断つた。

ハ 従つて、原告は、前記かつらぎ旅館での売買交渉の際、森田が本件不動産の売却を承諾しているかどうかについて当然危惧の念を抱いていたはずである。更に、本件農地は、森田の先代の時代から約四〇年もの長い間、原告との間で賃貸借関係が継続してきたものであり、又、森田は終戦前からずつと原告と同じかつらぎ町内に居住しており、病弱なため両親のもとで療養していたものである。

ニ 右のような原告と森田との関係からすれば、原告が、かつらぎ旅館から徒歩二、三分の森田の自宅に同女が来ていることを知悉しながら、本件売買について直接同女の意思を確認しようともせず、同女が前々日まで到底承服しかねていた価格でもつて、本人に確認することもなく、代理権の疑わしい者との間で取引をしたことは、信義に反する行為といわなければならない。

(2) 本件農地につき原告の森田に対する賃料の不払があつたことについて

イ 原告は、昭和五一年一月一六日、森田に対し、昭和四四年から昭和四八年までの過去五年分の賃料として金二万三四三〇円を支払つたが、昭和四三年度分、四九年度分及び五〇年度分の賃料を支払わなかつたので、森田の度重なる請求により、その後ようやく全額を支払つたものである。

ロ 原告は、昭和四四年から昭和五〇年までの本件農地の固定資産税及び都市計画税を支払つているにもかかわらず、森田はこれを清算しようとしないことを賃料不払の理由として主張しているが、右固定資産税及び都市計画税は、いずれも地方税法の規定に基づき、かつらぎ町が当時登記簿上の所有名義人であつた原告に対し課税したものである。従つて、右支払つた分についての清算は、原告においてかつらぎ町に対して要求すべきものであつて、森田に対して要求すべき筋合のものではない。

ハ 又、土地についての固定資産税の課税標準額が、一五万円未満の場合は、非課税とされている(地方税法三五一条、七〇二条の二第二項)ところ、本件申請時における本件農地に対する課税標準額は、金一二万九六〇〇円であり、しかも森田は本件農地以外にかつらぎ町内に土地を所有していないから、同女に対しては従前から課税されていなかつたのである。

従つて、原告が支払つた昭和四四年から昭和五〇年までの固定資産税及び都市計画税を森田に対し返還請求するのは相当でない。

ニ 以上のように、原告が正当な理由もなく賃料を支払わなかつたことは、信義に反するものといわなければならない。

(3) 原告が本件農地を八朔畑へ転換したことは無断転用であり、次に述べるとおり信義に反するものである。

イ 原告が本件農地についてその地目を田から八朔畑へ転換した事実は、原告も認めているところであるが、別件訴訟において昭和五〇年一〇月一四日、原告敗訴の判決が確定したことにより、原告には当初から本件農地につき所有権がなかつたことになり、右八朔畑への転換は、森田に無断で転用したことになる。

ロ 農地の賃貸借契約は、継続的な法律関係であり、当事者間の信頼関係を基礎として存続するものであるから、賃借人が約四〇年もの間水田として耕作してきた農地に対し、賃貸人の承諾のないまま八朔畑として利用を続ける行為は、信義に反するものというべきである。従つて、当事者間の信頼関係を維持するためには、原告は少なくとも右敗訴判決確定後、即座に、森田に対して八朔畑への無断転用について承諾を求めるべきであつたにもかかわらず、同女に対して何ら承諾を求めることなく、敗訴判決がなかつたと同じような状態で八朔畑として利用を続けてきたものである。

ハ 原告は、昭和五二年一月二一日付内容証明郵便をもつて、森田から「背信的行為を重ねてきたため、賃貸借契約を将来にわたつて継続することは耐えられない。」旨の賃貸借契約解除の意思表示を受けたにもかかわらず、その後においても森田に対し右転用の承諾を求めようとしなかつた。

ニ 以上のように、原告の自らの敗訴判決を無視した行為は、信義に反するものといわなければならない。

ホ 更に、原告が請求原因3(二)(2)の如き主張をするに至つては、もはやこれ以上原告と森田との間の信頼関係を継続し難い信義則違反があるものといわなければならない。

(4) 原告は請求原因3(二)(2)イの如き主張をするが、森田には、原告が別件訴訟で一審以来五年間も争つたことに対する著しい不信感がある。

イ 別件訴訟の控訴審判決は、森田が本件売買契約の数日前みかえり旅館において道子とともに原告と談合し、本件農地売買につき話合つたこと、及び契約当日道子が森田の実印を所持し、原告がこれを現認した事実を認定したうえで、右のような事実関係だけで、森田が原告に対し本件不動産売却につき道子に代理権を授与した旨表示したものと認めることは困難である旨、更に、森田が原告に対し、本件農地のみを売却する場合でも代金一〇〇〇万円を要求していたものであること、現に原告も契約当日道子に対し森田を同道してきて欲しい旨要求したこともあつたぐらいである等という理由から、原告の代理権授与表示による表見代理の主張は失当である旨判示している。

ロ 以上のように、右控訴審判決の判断からも原告の背信性が窺えるのであつて、前記2(一)(1)で述べたように、本件不動産を買受けた行為自体が信義則に違反するだけでなく、右別件訴訟における原告の不当応訴も、森田との信頼関係を著しく破壊するものであり、信義に反するものといわなければならない。

(5) 以上のとおり右(1)ないし(4)で述べた原告の行為は、いずれも法二〇条二項一号所定の事由に該当することは明らかである。

(二) 更に、本件農地の賃貸借解除の許可事由として、法二〇条二項二号及び五号に該当するものがある。

(1) 法二〇条二項二号には、その農地又は採草放牧地を農地又は採草放牧地以外のものにすることを相当とする場合においては、農地の賃貸借解除の許可処分ができる旨規定されているところ、その土地の使用目的の変更について、当然法四条又は五条の許可が受けられるであろうことが期待され、この転用のために現在の賃貸借関係を解消させることが、社会通念からみても適当であると考えられる場合には、右規定により知事が賃貸借の解除の許可を与えることができるものと解されており、又、同項五号には、その他正当な事由がある場合においても解除の許可処分ができる旨規定され、右正当事由の判断にあたつては、賃貸人の生活の維持という私的利益及びその反射的側面としての賃借人の生活の維持という私的利益並びに農地法の持つ公益的利益の三者を、一切の事情を基礎に比較考量して決定しなければならないとされている。

(2) 然るところ、森田は肉親がなく、しかも病弱で働くことができないため、昭和四五年七月から昭和五一年五月まで生活保護を受けていたものであり、本件農地の上に貸家を建築して自分も居住し、その家賃収入を得て今後の生計を立てたいとの森田の意思は、本件申請当時から存在した。反面、原告においては、本件農地の耕作をしなくとも兼業農家として十分生計を立てていくことができる状況にある。

(3) しかして、本件処分は、被告が右当事者間の状況を参酌して判断したもので、法二〇条二項二号及び五号の解除理由をもその判断中に包含するものである。

(三)(1) 本件申請の理由と本件処分の解除理由との間には、齟齬があるけれども、行政庁は、特定の許可処分を求める旨の申請を受理した場合には、申請人の提出する許可申請書記載の事実が真実に合致するか否かを取り調べるに止まらず、更に必要と認める事項を自ら調査のうえ、その許可申請の内容が法令に規定する許可基準に該当するか否かを判断し、公益的立場に立つて、右許可申請に対する許否の処分を決定する権限と職責を有するものであるから、被告が本件申請書に記載された賃貸借契約の解除理由のみを判断の対象とすることなく、他の理由をも調査したうえでなした本件処分には何らの違法はなく、又、森田は、申請書に解除理由としてあげている行為のみをもつて信義に反すると感じているのではなく、前記2(一)(1)ないし(4)で述べた原告の不信行為のすべてを総合して信義に反すると感じているものである。

(2) なお、本件処分は、被告の主張2(一)(1)ないし(4)の各事実のうち、いずれか一つの事実の存在によつて十分その要件が満たされるものであるが、しかし右の各事実はいずれも重要な事実であるため、その全てを本訴において主張することにより、訴訟の段階で処分理由を追加、変更することになつたとしても、訴訟法上何ら差し支えないというべきである。理由は以下のとおりである。

イ 農地法は、同法二〇条の知事の許可処分について理由の明示を要求していないところ、本件処分においても、被告は処分理由を付記していない。

ロ 一方、一般に行政処分取消訴訟における審理の対象は、処分の違法性一般であり、行政庁が訴訟の段階において、処分の際に理由としたところと異なる理由を主張できることは、通説判例ともにこれを認めているところである。

ハ もつとも、法令で処分の理由付記が要求されているような場合には問題があるが、本件のように、法令で行政庁に処分理由の明示を要求していない場合には、処分の段階で考慮されなかつた事実を取消訴訟の段階で新たに主張することが許されるのは、当然のこととしてほとんど問題とされておらず、訴訟法上の攻撃防禦方法として、時機に後れたものとして排斥されない限り、口頭弁論の終結に至るまで随時提出することができるものとされている(最高裁昭和五〇年六月一二日第一小法廷判決・訟務月報二一巻七号一五四七頁、大阪地裁昭和四四年三月二五日判決・訟務月報一五巻七号八五八頁)。

ニ 以上のように、行政処分取消訴訟では、行政庁が処分の適法性を理由づけるため、処分の際に理由としたところと異なる事由を訴訟において主張することが許されることは、多数の裁判例が認めているところであり、まして、本件訴訟では、処分の際に処分理由を明示していないのであるから、審理の対象が審査請求における被告の弁明書の弁明理由のみに限定されるものではなく、法二〇条二項各号に該当するすべての事由が処分時に存在したかどうかが審理の対象とされるのである。従つて、本訴において、被告が右弁明書の理由と異なる事由を主張することは何ら差し支えないし、このことは、先に述べたように行政処分取消訴訟の審理の対象が処分の違法性一般であるとされている通説判例からも明らかである。

ホ 又、被告が訴訟の段階で処分理由を追加、変更したとしても、右主張により被告が維持しようとする処分と本件処分は同一の行政処分であるから、原告に対し不当な不利益を強いるものではなく、防禦の機会も十分与えられているものというべきである。

ヘ 以上の理由から、本訴における審理の対象を、審査請求における被告の弁明の理由のみに限定すべきいわれもない。

3  以上の次第で、本件処分は、前記1で述べた経過のとおり適法な手続によりなされたものであり、内容においても、前記2で述べたとおり、法二〇条二項一号に該当する事由のみならず、同項二号及び五号にも該当する事由があるから、何ら違法な点はなく、原告の主張は失当であるといわなければならない。

四  補助参加人の主張

1  本件農地は、約四〇年前徳治郎が原告に対し小作地として賃貸したものであるが、右賃貸借契約締結の際、原告との間で本件農地を米作以外の耕作に使用しない旨の口頭による確約がなされ、以後専ら米作の用に供されてきたものである。

原告は、昭和四〇年ころ、森田の母に対し、みかんを植えさせて欲しい旨申入れたが、同女は米作以外は不可であるとしてこれを拒否した。

2  原告は、昭和四四年七月二八日、森田に本件不動産を売却する意思がないことを知りながら、森田が実印等を上北夫婦に預けていたことを奇貨として、右上北夫婦らと交渉して本件売買契約を締結し、本件不動産につき所有権移転登記を経由した。

そこで、森田は別件訴訟を提起したところ、昭和五〇年一〇月一四日最高裁判決により森田の勝訴が確定した。

3  ところで、森田は昭和五一年一〇月三〇日本件農地を見に行つたところ、田であるはずの本件農地がいつの間にかみかん畑になつていることを発見した。原告が本件農地をみかん畑に転用した時期は定かではないが別件訴訟の第一審が和歌山地方裁判所妙寺支部に係属中の昭和四六年六月ころ、森田が本件農地を見に行つた時は、未だ田の状態であつたから、右作付転換がなされたのは、それ以降の裁判係争中であつたことになる。

すなわち、原告は右訴訟係属中であるにもかかわらず、自己名義に所有権移転登記を経由したことを奇貨として、農業委員会に対し、勝手に作付転換の承認申請をなし、本件農地をみかん畑に転用したものであつて、右は原告の悪意によるものである。米作地を一旦みかん畑に転用すると水田耕作地に再び戻すことはほとんど不可能となるばかりでなく、将来宅地として利用する場合も整地上の困難を伴い、所有者である森田の土地利用範囲がきわめて制限されることになり、ひいては本件農地自体の価値を著しく低下せしめる結果となる。

4  以上のとおり、原告は森田に本件農地を売却する意思のないことを知りながら、森田のいとこである光治らと交渉して恣に自己名義に所有権移転登記手続をなしただけでなく、別件訴訟の係属中に勝手に本件農地を田からみかん畑に転換するという著しい用途違反をなしたこと、右裁判確定後の地代支払状況も決してよくはなかつたこと(その詳細は被告の主張2(一)(2)イのとおり)等度重なる原告の背信行為により、原告と森田との間の本件農地利用に関する契約上の信頼関係は全く失われるに至り、森田としてももはやこれ以上原告との間で本件賃貸借契約を継続することは耐えられなくなつたので、右みかん畑への転換の判明した昭和五一年一〇月三〇日森田は直ちに原告に対し口頭で異議を述べ、昭和五二年六月七日和歌山県知事に対し本件申請をなしたところ、昭和五三年一二月一九日本件処分がなされた。そこで、森田は原告に対し、昭和五四年一月二一日到達の書面により本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

5  なお、仮に原告がみかん畑に作付転換したのが別件訴訟の提起前のことであるとしても、前記最高裁判決により本件農地の所有者は森田であることに確定したのであるから、原告としては将来にわたつて安定した賃貸借関係を維持するために、みかん畑への転換について当然賃貸人である森田の承諾を得ることが必要であるにもかかわらず、右判決確定後はもとより、森田が原告に対し昭和五二年一月二一日付の内容証明郵便で賃貸借契約を将来にわたつて継続することは耐えられないとする旨の異議申入れをした後においても、原告は何ら承諾を求めることなく現在に至つている。

然して、農地の賃貸借は継続的な法律関係で、当事者間の信頼関係を基礎として存続するものであるから、賃貸人たる森田の承諾のないままみかん畑として利用を続ける行為は、信義誠実の原則に反する行為というべきである。

6  森田は従来から病弱で医療扶助等により治療を受けてきたものであるところ、月金五万円程度の家賃収入の他は収入の道がなく、扶助を受くべき身寄もない。森田としては、右収入だけでは生活できないので、本件農地を宅地に転用し、これを担保にして借入金により自己の住居及び貸家を建て、その家賃収入によつて将来の生活を維持したいと切望している。

五  被告の主張に対する原告の認否及び反論

1  被告の主張1について、(一)の事実及び(六)のうち被告がその主張の日本件処分をなしたことは認める。

2(一)(1) 同2(一)(1)について、イのうち、本件売買が昭和四四年七月二八日原告と道子との間で、森田益弘の仲介により締結され、本件不動産の売買代金総額が三五〇万円であつたこと、右交渉が森田不在のままで行われたことは認めるが、その余の事実は争う。

(2) 本件売買については次のような事情があり、これらの事情を考慮すると到底原告が背信行為をしたものとは評価できない。

イ 原告は自ら進んで本件農地を買受けたものではなく、地元の有力者である森田益弘らの勧めによつて、已むなく買受けたものである。

ロ しかも、原告は当初本件農地だけを金一〇〇万円程度で買受けたいと思つていたのが、次第に値上げされて金二五〇万円となり、更には当初考えてもいなかつた古家まで付加されて、合計金三五〇万円とされたのである。

ハ 売買契約の当日、森田の代理人として行動していた道子は、何回か交渉の席を立つて森田のもとに出かけている。もつとも、道子が本当に森田の意思を確認したのかどうかは正に問題ではあるが、少なくとも原告は確認したものと信じていたのである。

ニ 原告は、森田の親族が会議を開いて、上北夫婦を森田の後見人に指定した旨聞いており、道子は森田のために行動しているものと信じていたのである。

(二) 同2(一)(2)について、イの事実、ロのうち原告の賃料不払の理由としての主張事実は認めるが、その余は争う。原告が賃料を支払わなかつた理由は請求原因3(三)(2)のとおり清算を受けていないからで、原告に非難されるべき点は存在しない。

(三)(1) 同2(一)(3)の事実中、イの事実は認めるが、その余の事実は争う。

(2) 別件訴訟確定後における次の如き事情のもとにあつては、被告の右主張は採用できない。

イ 森田は、別件訴訟において、昭和五一年一〇月本件農地が八朔畑になつていることを知つて、原告に対し文句を言つた旨証言しているが、そのような事実はなく、被告もこの点については双方の主張が相反していて確定し難いとして認定していない。

ロ 森田が本件申請前に原告に対し水田への復旧を申し入れたかどうかについても、昭和五二年一月二一付内容証明郵便が原告のもとに到達したとの確実な証拠はなく、又仮に右内容証明郵便が原告のもとに到達したとしても、原告自身はその内容を読みこなす能力をもつていない。従来、原告は娘夫婦に手紙類を読んでもらい、本件農地に関することは町会議員の高橋に相談しているのであるが、仮に右内容証明郵便が届いたとすれば、家庭内で大騒ぎとなり、原告も高橋のもとに駆け付けているはずであるところ、森田による本件申請までの間に、そのような事態は一切発生しておらず、原告は右申請に至つて初めて八朔畑として使用していることが問題とされていることを知り、驚愕したというのが実態である。

従つて、前記内容証明郵便が原告方に届いているとしても、原告はその内容を知らないまま粉失した可能性があり、その後の原告の行動に背信性があると断定するのは余りに酷といわなければならない。

ハ 本件粉争が生じたころは、政府によつて米作転換が奨励され、本件農地についても八朔畑に転換したことにより、奨励金が交付されている。このような状態のもとでは、原告が本件農地を買受けた後、自らの手で転作したものを、所有権移転登記の扶消後も引続き耕作を続けるについて、森田の承諾を得る必要があると考えなかつたとしても、大きな非難を加えることはできない。

又、本件は無断で転作したという作為が問題とされているのではなく、転作したものを復旧しなかつたという不作為が問題とされているのである。このような場合、前提となる転作そのものに大きな非難が加えられるとか或いは復旧について何度も申し入れがなされ交渉が続けられたにもかかわらず、小作人側がこれに耳を貸さなかつたというような積極的な事情があれば格別、そうでなければ、賃貸借契約の解除を認めるのは相当でない。

ニ 本件は水田を宅地化したとか山林化するために植樹したとかいうような著しい用法違背ではなく、水田から果樹園への転作であり、土地を掘り返したり土地の形状に変化を生じさせたということもない。そして、八朔畑にしたことによつて土質に変化が生じ水田への復旧に問題が生じるというわけでもなく、水田への復旧は容易であり、復旧後も耕作に支障はない。

従つて、用法違背があると仮定しても、その程度はきわめて軽微というべきである。

(四) 同2(一)(4)について

別件訴訟は、結果的にみれば原告の敗訴に終ってはいるが、しかし、右事件は原告の敗訴が当然視さるべき事実関係ではない。ことに原告の立場からすると、自らの行為自体の正否ということではなく、売主側代理人の権限の有無という問題であり、簡単にあきらめがつかなかつたのである。又、原告は訴訟係属中に和解による解決を求め、それなりに努力したが、森田の態度が頑なであつたため結局不調に終わつたのである。

以上の次第で、原告が上告審まで争つたことをもつて背信的行為というのは原告にとつて酷である。

3  同2(二)は争う。

4  同2(三)(1)(2)について

被告は、〈1〉原告と森田との間の別件訴訟の判決が確定した後、原告が八朔畑を水田に復旧しなかつたことのほか、〈2〉原告が森田の意思確認をしないまま、本件売買の前々日まで同女が承服しかねていた価格で、代理権の疑わしい者との間で売買契約を締結したこと、〈3〉原告が別件訴訟において、五年間にわたつて応訴したことも信義に反する行為であると主張している。

しかしながら、右〈2〉〈3〉の点については、本件処分の根拠とされておらず、被告自身これを根拠としないことを審査請求に際して提出した弁明書において明らかにしているのである。

原告は一般論として処分理由以外の理由を審理の対象とすることは許されないと考えるが、その他本件においては一種の信義ないし禁反言の法理から許されないものと考える。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、本件処分の適否について検討する。

被告の主張1(本件処分に至つた経緯等)の事実中、(一)の事実及び(七)のうち被告がその主張の日本件処分をなしたことは当事者間に争いがなく、その余の事実は原告において明らかに争わないから自白したものとみなす。

まず、被告の主張2(一)(1)の本件農地賃貸借解除の許可事由の存否について判断するに、本件売買が昭和四四年七月二八日原告と道子との間で、森田益弘の仲介により締結され、本件不動産の売買代金総額が三五〇万円であつたこと、右交渉が森田不在のままで行われたことは当事者間に争いがなく、右事実に成立に争いのない甲第六ないし第八号証、第四二号証、第四四号証、第五三ないし第六一号証(いずれもその一部)、第一〇五ないし第一〇九号証(いずれもその一部)、原本の存在及びその成立に争いのない甲第四四号証、第五〇号証、第一〇一ないし第一〇四号証、原本の存在及びその官署作成部分の成立に争いがなく、その余の部分の成立は弁論の全趣旨により認められる甲第四六号証、原本の存在に争いがなく、その成立は弁論の全趣旨により認められる甲第四七号証、原本の存在は争いがなく、前掲甲第五三号証の供述記載により上北道子が森田明子名義をもつて作成したと認める甲第四九号証を総合すると、次のような事実が認められる。

1  森田は、生来虚弱な体質で病気勝ちのため、終戦前から郷里の和歌山県伊都郡かつらぎ町に住む両親の許で静養していたが、その後に発病した胃腸障害により永い闘病生活を余儀なくされている間に、相次いで、父、兄、母を喪い、心身ともに苦哀に満ちた孤独な日々を送つていたころ、一見異常と思われるような挙動が見られたことから、昭和四三年一二月親戚の森田益弘らにより、亡兄の妻森田富士子を保護義務者として保護申請がなされ、診断の結果、被害妄想型精神分裂症患者として橋本市民病院精神科に強制入院させられた。

2  しかし、森田としては、右入院措置は森田富士子らの画策によるものとしか考えられなかつたが、入院生活には面会制限、外出禁止などの制約が付されたうえに、精神病棟特有の諸々の悪条件が重なつて、もはやこれ以上精神的に堪え切れず、身体も相当衰弱してきたため、昭和四四年四月末頃から五月にかけて、いとこにあたる上北光治、太田光子及び上北光治の妻上北道子らに連絡をとつて日々の窮状を訴え、一日も早く退院手続をとるよう懇願する一方、同年七月初め頃外出した際、北野病院で診療を受けたところ、精神に異常なしと診断された。

3  上北光治、道子、太田光子、森田富士子、その父斉藤直ら親族一同は、同月一五日、森田益弘方に参集して、森田退院後の処遇について種々協議した結果、上北光治、太田光子は森田の生涯にわたつて一切の面倒をみること、上北光治は森田の後見人としての法的手続をとること、森田富士子一家は森田所有の財産について「法的権利」を放棄することなどを合意したが、森田を右協議の埓外に置いていた。

4  森田は、同月二五日退院すると直ちに道子、太田光子らとともにかつらぎ町の自宅(本件建物)に帰り、胃腸病院への入院準備を兼ねて家内整理をした後、宿泊先の橋本駅前みかえり旅館へ向つたが、その途次、本件農地の現況を見たあと同旅館に落着き、道子らの勧めにより、いずれ本件農地を売却する予定にしていたので、先代から引続き耕作している原告を呼んで売買の交渉をすることとし、同日午後八時頃から原告と本件農地の売買につき面談したところ、原告が本件農地を一五〇万円ないし二〇〇万円と評価したので、数年前既に一〇〇〇万円を下らない評価を受けていることを聞知していた森田としては、到底右価格では売却する気にならず、その場で明確に断つた。しかし、道子はなお交渉を続行したいとの考えから、森田には無断で原告とかつらぎ町のかつらぎ旅館で話合うこととした。

5  森田は、同月二七、二八日の両日道子の手助けで家内整理していたが、他方、道子は、同月二八日午後、原告、仲介役森田益弘、森本玩延らと森田方から僅か二、三分のところにある前記かつらぎ旅館において、森田を在席させないまま折衝を重ねた末、本件不動産を代金総額三五〇万円で売却する旨の売買契約を結び、その間森田の承諾について危惧の念を抱いていた原告が森田を同道してきてほしい旨の申出に及ぶも、前記親族会議により全面的に任されているのですべての責任を自分がとる旨明言し、あらためて森田の意思を確認しようとはしなかつた。道子らは、近くの司法書士事務所において、売買契約書を作成し、原告から道子に対し手付金一〇〇万円が支払われた(なお、残代金は同年一〇月二日原告から道子に支払われた。)。その際、契約書の売主欄には司法書士が森田名義を代署し、その名下に、道子が親族会議のあと本件不動産の権利証とともに受領し所持していた森田の実印を使用して押捺した。

6  その後、森田は、胃腸障害により同年八月六日柏原市民病院、同月三〇日北野病院にそれぞれ入院し、療養に専念していたが、同年九月一〇日保護義務者上北光治の同意により強制的に藍野病院精神科に入院させられた。森田は、前記のような親族間の話合いがあつたことや、本件不動産の売買が道子と原告との間でなされたこと、しかもそれが自分が居た自宅から数分歩いたところにあるかつらぎ旅館で締結されたことなどを全く預り知らなかつたところ、その後同病院入院中の秋から冬にかけて、担当医師を介し、あるいは面会に来た道子から直接本件売買の話を聞き、はげしく憤慨し、上北光治、道子らを追及した。しかして、このことが、かねてより再び強制入院させられ不満であつた森田の上北夫婦に対する不信感を決定的なものとした。上北夫婦は何故か森田には真相を伝えようとせず、代金を一四〇万円であつたとか、二〇〇万円であつたとかいい、また森田は当初は売却されたのは本件農地だけだと聞いていた。森田は、昭和四五年四月一五日上北光治の手で大阪府柏原市の国分病院に転院させられたが、森田の再三にわたる大阪府衛生部への訴えなどにより、同年五月二〇日ようやく退院することができ、爾来、胃腸病院に身を寄せ、弁護士に本件処理等を依頼して別件訴訟を提起し、その確定後に本件申請にまで及んだ。

以上の事実が認められ、前掲甲第五三ないし第五六号証、第六〇、六一号証、第一〇五ないし第一〇七号証の各供述記載中右認定に抵触する部分は、前掲甲第五七ないし第五九号証、第一〇八、一〇九号証及び右認定事実に徴し措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実関係に鑑みれば、本件売買は、道子が夫光治の意をたいし、森田の意に反することを十分知りながらその意思に反して強行した無権代理の契約であり、原告は、道子が無権代理者ではないかとの疑念を有する身で、しかも本件売買契約締結場所であるかつらぎ旅館から徒歩二、三分の森田の自宅に森田が在宅していることを知悉しながら、道子の言うがままに本件売買について直接森田本人の意思を確認しようともせず、森田との面談においては本人が到底承諾しかねていた低額な代金額でもつて、本人に確認することなく本件売買契約を締結し、森田の本件農地の所有権を取得し、その賃貸人たるの他位を解消させようとしたものであるということができ、原告の右行為は、森田をして別件訴訟を提起させ、長時間にわたる抗争の末、本件農地の賃貸借契約上の信頼関係を破壊するに至らしめる基因ともなつており、法二〇条二項一号にいう信義に反する行為といわねばならない。

ところで、被告は、本件処分の際、その適法性を理由づける事由として右事由を挙げていないことは明白であるが、被告が右事由を本件訴訟において主張し得ることは、被告主張のとおり妨げないものと解するのが相当である。したがつてこれに反する原告主張の見解は採用することができず、別に、本件においては一種の信義則ないし禁反言の法理から被告の右主張は許されないとの原告の主張を採用すべき事情も見出されない。

以上の次第で、本件処分は適法というべきである。

三  よつて、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鐘尾彰文 高橋水枝 角隆博)

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